三又又三の現在は?漫才協会加入と不動産勤務の実態&武田鉄矢ものまね誕生秘話を徹底解剖
お笑いコンビ「ジョーダンズ」のボケとして一世を風靡し、武田鉄矢のものまねで知られる三又又三。ビートたけし率いるオフィス北野の看板タレントとしても数々のバラエティ番組を沸かせた彼ですが、コンビ解散や事務所独立を経て、メディア露出の形は大きく様変わりしました。近年では「テレビで見かけなくなったが、今は何をしているのか」「漫才協会に入ったという噂は本当か」といった関心が集まっています。
現在の三又又三は、舞台漫才への復帰、不動産会社社員としての勤務、そして独自の切り口を活かしたYouTuber活動など、芸人の枠に収まらない多角的なキャリアを築いています。本記事では、公的記録や関係者の証言に基づき、彼の基本プロフィールから武田鉄矢公認ものまねの驚くべき発祥ルート、さらに現在の多方面にわたる活動実態まで余すところなく検証します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:現在の三又又三は芸人活動と並行し、漫才協会への所属、不動産会社社員、YouTuberとして多面的なキャリアを展開中。
- 要点2:武田鉄矢ものまねの源流は「実姉」からの直伝であり、着用する金八先生の衣装や鞄は武田夫人から贈られた本物。
- 要点3:「このバカチンが!」の流行の裏には独自の演出意図があり、元相方・山崎まさやとのコンビ時代から現在まで独自の立ち位置を確立している。
【基本プロフィール】三又忠久としての原点とオフィス北野での歩み
三又又三は1967年5月27日生まれ、岩手県花巻市出身です。旧芸名および本名は三又忠久(みまた ただひさ)。血液型はO型です。学生時代からレスリングや芸能活動に強い関心を持ち、上京後にオフィス北野へ所属。ビートたけしの弟子筋として芸人人生を歩み始めました。
オフィス北野に所属した彼は、師匠であるビートたけしをはじめ、たけしの元妻である北野幹子からも様々な形で支援や交流を受け、たけし軍団の周辺で強烈なキャラクターを培っていきます。体育会系の粘り強さと人懐っこい気質を武器に、テレビ界での足がかりを着実に掴んでいきました。
【ジョーダンズの軌跡】相方・山崎まさやとの結成から解散まで
1992年、三又又三は山崎まさやを相方に迎え、お笑いコンビ「ジョーダンズ」を結成しました。ボケを担当する三又の予測不能な暴走と、山崎のシャープで安定感あるツッコミの掛け合いは、当時の演芸番組やバラエティ界で高い評価を受けます。
コンビは『タモリのボキャブラ天国』シリーズなどで一躍脚光を浴び、知名度を全国区へと押し上げました。しかし、コンビ活動が15年目を迎えた2007年に惜しまれつつ解散。解散後、相方の山崎まさやがタレントやスポーツキャスター、司会者としての道を歩む一方、三又忠久は芸名を「三又又三」へと改名し、ピン芸人・俳優として独自の路線を突き進むことになります。
【ものまね秘話】姉直伝の武田鉄矢芸と「本物の金八衣装」の真相
三又又三の代名詞といえば、TBS系ドラマ『3年B組金八先生』で知られる武田鉄矢のものまねです。この至芸には、一般的なものまね芸人とは決定的に異なる誕生秘話が存在します。
公式記録や本人の証言によると、このものまねは三又の実姉が非常に得意としていた芸を、直々に伝授されたものがルーツです。肉親から受け継いだ大切な芸だからこそ、三又自身も数ある持ちネタの中で決して質を落とさないよう細心の注意を払い、誇りを持って磨き続けてきました。
また、世間に強烈なインパクトを残した決め台詞「このバカチンが!」は、三又がものまねとしてデフォルメして連呼したことで世間に再浸透しました。実は、ドラマ本編におけるオリジナルの発音やニュアンスとはあえてトーンを変え、演芸として最も笑いを増幅させる独自のチューニングを施した結果生まれたものです。
さらに特筆すべきは、ステージで着用している金八先生の衣装や鞄が「武田鉄矢の妻・節子から贈られた本物」であるという点です。かつて舞台の招待を通じて武田夫妻と対面した際、武田本人からは「ああ、お前か」とやや警戒されたものの、居合わせた節子夫人が「若かりし頃のアンタにそっくり」と絶賛。この一言をきっかけに夫妻との距離が一気に縮まり、貴重な実物の衣装一式が本人公認の証として三又の手へ託されることとなりました。
【キャリアの変遷】三又又三の足跡と主な転換期
お笑いコンビのボケ役からピン芸人、そして多角的ビジネスマンへと舵を切った三又又三の経歴を整理すると、時代の波に合わせ柔軟に活躍の場をスライドさせてきた様子が浮き彫りになります。
| 年代・時期 | 主な出来事・活動ステージ | 特記事項・エピソード |
|---|---|---|
| 1967年 | 岩手県花巻市に誕生 | 本名は三又忠久。学生時代はスポーツに励む |
| 1992年 | 「ジョーダンズ」結成 | 山崎まさやとコンビ結成、オフィス北野で活動開始 |
| 1990年代後半 | 武田鉄矢ものまねでブレイク | 姉直伝のネタが開花。武田夫人から本物衣装を譲渡される |
| 2007年 | ジョーダンズ解散 | ピン芸人「三又又三」として再出発。俳優業にも進出 |
| 2020年代〜現在 | 漫才協会加入・複業展開 | 舞台漫才へ回帰。不動産会社社員およびYouTuberとして活動 |
【現在の姿】漫才協会への復帰・不動産会社社員・YouTuberの実態
2026年現在、三又又三の活動は多角化を極めています。その主軸となっているのが、漫才協会への所属です。浅草・東洋館をはじめとする伝統的な寄席の舞台に立ち、長年培った話術と確固たるキャラクターで、生の客席を沸かせる原点回帰の活動を続けています。
さらに世間を驚かせたのが、不動産会社社員としての勤務です。芸能活動専業にとどまらず、一般企業の社員としてビジネスの現場に身を置き、堅実な社会人としての顔を持つハイブリッドな働き方を実践しています。芸能界で培ったコミュニケーション能力や人脈を活かし、地に足の着いた実務に従事している点が高く評価されています。
また、公式YouTubeチャンネルの運営も継続しており、芸人仲間との交流やディープな裏話、自身の近況を赤裸々に発信。テレビの枠組みを超えたダイレクトな発信プラットフォームを持つことで、往年のファンのみならず新しい世代のリスナーとの接点を維持しています。
【プロの結論】波乱万丈を生き抜く「セカンドキャリア」の生存戦略
お笑いブームを牽引したタレントがテレビの露出減少とともに表舞台からフェードアウトしていくケースは少なくありません。しかし、三又又三の歩みは、そうした従来の芸人像とは一線を画しています。
師匠ゆずりの芸人魂を守りながら寄席の舞台(漫才協会)へ軸足を戻しつつ、実社会のビジネス(不動産会社)で経済基盤を整え、ネット(YouTube)で表現の自由度を確保する。この「伝統演芸」「実業」「デジタル配信」を組み合わせた3点支持の生き方こそ、激動の芸能界を生き抜いてきた彼ならではの巧みな生存戦略といえます。
【三又又三】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:三又又三の本名や出身地はどこですか?
A1:本名は三又忠久(みまた ただひさ)です。出身地は岩手県花巻市で、高校時代まで同地で過ごしたのち上京しました。
Q2:元相方の山崎まさやとは現在どのような関係ですか?
A2:1992年から2007年までお笑いコンビ「ジョーダンズ」として活動しました。解散後はそれぞれ別の道を歩み、山崎まさやはキャスターや司会業、三又又三はピン芸人・俳優・実業など多方面で活躍しています。
Q3:武田鉄矢のものまねで着ている衣装はレプリカですか?
A3:レプリカではなく本物です。対面した際に武田鉄矢の妻・節子から「若い頃の夫にそっくり」と絶賛されたことをきっかけに、実際にドラマ等で使用された衣装や鞄が贈呈されました。
Q4:現在の主な職業は何をしていますか?
A4:お笑い芸人として漫才協会に所属し寄席に立つ傍ら、不動産会社の社員として実務に従事し、YouTuberとしても定期的な情報発信を行っています。
まとめ:伝統と実業を往来する独自のタレント像
昭和・平成のバラエティ界で強烈な爪痕を残した三又又三は、環境の変化に翻弄されることなく、自身の強みを活かした新しい生き方を切り拓いてきました。姉から受け継ぎ武田夫妻に認められた本物の芸を寄席の舞台で磨き続ける一方、不動産ビジネスという現実的な足場を固めるその姿は、芸人のセカンドキャリアにおける一つの完成形を示しています。寄席の舞台、ビジネスの現場、そして動画配信と、それぞれの場所で放たれる彼のバイタリティに今後も注目が集まります。 (出典: 三 又 又 三(Yahoo!ニュース))